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開基・深川氏

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開基・深川氏

深川家と泉養寺

泉養寺は深川の地を開拓した深川八郎右衛門の実の兄・秀順によって開山されました。
本堂裏手の墓地には深川家累代の墓碑があり、毎年11月3日には慰霊法要より始まった施餓鬼供養法会が厳修されています。

東京・深川の地を開拓した深川八郎右衛門

深川八郎右衛門は、慶長年間(1596‐1615)に大坂(諸説あり)から移住して深川の地を開拓した人です。かつて葦の生い茂る三角州で、ぬかるみのような土壌でとても人が住めるような場所ではなかった土地を、八郎右衛門をはじめとする一族が開墾に着手。苦労の末に農地として開拓し、やがて村としての形を作り上げました。

ある時、鷹狩りでその地を訪れた徳川家康公に土地の名を尋ねられた際、「まだ住む人が少なく、地名もない」と八郎右衛門が答えると、家康公は姓の「深川」から地名を深川村にするよう命じたと「新編武蔵風土記稿」に記されています。

開拓の功績によって、八郎右衛門は深川村の名主に任じられました。

江戸の繁栄と深川村の発展

江戸が城下町として急に栄えるようになり、深川村は米や野菜類の供給地として発展し、村の範囲も拡がっていきました。現在の江東区の新大橋、常盤、高橋、森下、猿江の各町全域、墨田区の千歳、立川、菊川へと開拓が進み、さらに城東方面にも八郎右衛門新田が開拓され、東砂、北砂の一部にもその地名が残されています。

江戸時代初期の農業の発展に力を尽くした八郎右衛門は、1661年に没し、菩提寺として自らが開基した当院で葬られました。法名を「道誉照洗居士(どうよしょうせんこじ)」と称します。

江戸の繁栄と深川村の発展

深川の地と人々を守り続けた深川家

初代・八郎右衛門没後も、深川一族は代々深川二十七カ町の名主を務めてきました。

ところが宝暦7年(1757)、七代目・深川八郎右衛門の時に、深川在方組合の中で不正事件が発生し、いざこざが起きて裁判沙汰となったのです。
そのことは町奉行の知るところとなり、八郎右衛門が組合員一同の罪を一身に引き受けて入牢。やがて病により出所した後、死去したため、奉行所は家名断絶の裁決を下し、一族は離散。深川家は七代目をもって絶えることとなりました。

深川氏の偉業への追悼供養

しかし罪を引き受け、他に累を及ぼさなかった八郎右衛門の行動は、多くの人に感銘を与え、その後深川氏の遺徳をしのんだ追善供養が行われました。法要はいつの間にか途絶えるとまた人々が相談して行われるというように、繰り返し行われ、やがて毎年11月3日へと定まっていきました。

今日ではお檀家様各家の先祖累代供養と合わせて大施餓鬼法会という形式に変わっております。

この日に限らず、遺徳を偲び墓参される方が多くいらっしゃいます。

深川家の家紋「いも洗い紋」

深川家の家紋「いも洗い紋」

泉養寺
〒272-0827 千葉県市川市国府台5-26-18
北総開発鉄道「矢切」駅より徒歩5分
または京成バス「栗山」停下車スグ
泉養寺は千葉県市川市国府台にあり、阿弥陀如来をご本尊とする天台宗の寺院です。ご葬儀、永代供養、その他ご相談等、何でもお気軽にお電話下さい。


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